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ミュージアムマップ
02岩出山エリア
城下町に流れる内川と発酵食文化
伊達政宗公が青年時代に居を構え、城下町として発達した地域。国指定史跡・名勝「旧有備館および庭園」や世界かんがい施設遺産に登録された「内川」など、江戸時代の遺跡・史跡が現存し、発酵文化や凍結乾燥による食料保存の文化が大切に受け継がれている地です。
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岩出山城下町は発酵食の宝庫
大崎耕土の人々は、「やませ」などの冷害や洪水への適応の努力を続けながら、米、麦、大豆の3大穀物をはじめ、地域特有の伝統野菜など、多くの農産物を生産しています。これらの豊かな原材料をもとに麹をつくり、味噌や日本酒などの宮城県内でも有数の発酵食品の産地として、豊かな食文化を育んできました。
岩出山伊達家が居城を構えた城下に、城下町が栄え、米菓子製造業、わら工芸品製造業、日本酒醸造業、味噌・醤油醸造業、豆腐・納豆などを製造する醸造業が大いに発展しました。大崎地域には、現在では酒造10社、味噌醸造8社、麹製造4社があります。
その中でも、岩出山地域は味噌、酒などの、麹発酵の食文化を感じられるところが数多くあります。酒は、岩出山の名取家が1600年(慶長5年)以前に伊達家に「お料理酒」を献上した記録や、1661年(寛文元年)に岩出山の宮本家が岩出山伊達家の御用酒屋を拝命した記録が残っています。
伊達政宗公が築いた城下町を流れる「内川」
岩出山の中心を流れる「内川」は、岩出山城の外堀の役目を持つ人工の川ですが、農業用水路としても大きな役割を持ってきました。
約400年前に、伊達政宗公によって岩出山城が造られたと同時に掘られ、江合川に設けた取水口、「大堰頭首工」から水を引いています。400年にわたり、水を利用する各村の住民たちにより、明治期には水利組合を組織し、改良工事を加えながら維持され、現在も大崎耕土の3,300haを超える農地を潤しています。
現在の内川は、地域住民等による「内川を考える会」と工事業者が話合いを重ねて設計・改良を進めています。「内川環境美化連絡会」や「内川ふるさと保全隊」によって行われる清掃や啓発活動によって維持され、「天然石による石積み護岸」「川沿い樹木の保存」「水際線の保持」に配慮し、内川の自然的・歴史的価値を守りながら、地域住民の交流の場や観光散策路として利用されています。
地域にとってかけがえのない存在となっている「内川」は、平成28年には世界かんがい施設遺産にも認定され、世界農業遺産「大崎耕土」の水管理を伝える貴重な資源になっています。
岩出山の冬の味覚「岩出山凍り豆腐」
「岩出山凍り豆腐」は、にがりと宮城県産の大豆のみを使用した昔ながらの製法で生産した凍り豆腐で、弾力に富んだ硬めの歯触りと滑らかな舌触りが特徴です。岩出山独自の工程を経ていることから雑味が少なく大豆の風味が豊かです。
江戸時代末期の1842年に斉藤庄五郎という人物が、奈良から製造技術を持ち帰ったことが始まりであると伝えられています。
厳しい寒気にさらされながらも、周囲に比べて雪が少なく、風もそれほど強くない岩出山の環境が、凍り豆腐作りに適しており、田畑が雪に閉ざされる冬場の換金作物として、また、貴重なたんぱく源として、この地で凍り豆腐作りが広まりました。
以来、170年にわたって、独自の改良を重ねながら「岩出山凍り豆腐」は作り続けられています。
「岩出山凍り豆腐」は、あ・ら・伊達な道の駅で買うことができます。また、大崎耕土案内板で動画を見ることができます。