フィールド
ミュージアムマップ
09色麻エリア
船形山への信仰と麓に広がる居久根の風景
奈良時代の「続日本紀」に記され、江戸時代には、扇状地の地形を利用した堰やため池等による水利技術が磨かれてきた地。愛宕山からは大崎耕土を一望でき、公園内の1万本のシャクヤクは夏の風物詩、全国唯一の手堀りの河童のご神体の神社がある河童のふるさと。
Pick UP!
地域に伝わる
全国でもただ一つ、木彫りの河童が御神体として祀られている神社です。創建は古く、今から約1200年前の延暦22年(803年)、征夷大将軍であった
1600年代に作られ、
現在もつかわれる荒川用水路
現在の花川は、かつて荒川と呼ばれる暴れ川でした。その南側に広がる野谷地を新田に開拓するために設けられたのが荒川堰です。
1646年から1649年にかけてつくられ、花川から、大崎市松山地域方向に向け、自然勾配で山腹に沿って掘られたもので、開削を指揮した
この、荒川堰用水の上流部が色麻町を流れています。花川からの取水、潜穴と開水路で丘陵に沿って東に流れています。そこから500mは潜穴となり、その先に穴堰という地名があります。ここに「
かっぱ伝説
あるとき河童が、お姫様に一目惚れをしてしまいました。姫の気をひきたくて、河童は毎晩、館にかよい、生きた魚や青いキュウリを置いていきました。
しかし、姫は河童が自分に嫌がらせをしていると思いこみ、気味が悪く、眠れない夜を過ごしていました。このことを伝え聞いた、若侍が「よし、わしが河童を退治してくれよう。」と、姫の着物をつけて館で待ちかまえていました。
そんなこととは知らずに、お姫さまに会いたくて、館に忍びこんできた河童は、その夜若侍に片腕をすっぽり、切りおとされてしまいました。
さあ-たいへん、河童は「腕を返してくれ、返してくれたらお姫さまに、近よることはしませんから。」と、腕の痛さをこらえながら、一心にたのむのでありました。
若侍は、「切られた腕を返せとは?」と不思議に思い、問いただしました。すると、河童には河童膏(かっぱこう)という膏薬があり、それを塗ると、どんなものでも、瞬時にくっつくというのです。そこで若侍は、腕と河童膏を交換したのでした。
この河童膏のおかげで、若侍は、戦で傷を負っても、すぐに治り、たくさん手柄を立てることができました。また、好き合っている恋人どうしが、河童膏を塗ると二人は、決して離れることなく、めでたく結ばれるともいわれ、縁結びの薬でもあったそうです。現代にもほしい膏薬ですね。ただし、みだりに用いると、ただちに河童の罰(ばち)があたるといわれます。ご用心!ご用心!
「色麻町ホームページより引用」